“やっぱりね、鳴ったとたんにママからだと思ったよ”
“えーっ、どうして?”
ひょっとして見透かされたかなと思いつつ平静を装って問い返しました。
“だって明日は8月6日だもん、去年も前日にメールがきたよ”
すっかり忘れていましたけど、やはり去年もこの日に東京にいる娘に連絡を
とっていた私です。
1945年8月6日、広島に原爆が投下された日。
軍人だった父は広島を離れており、母も爆心地から離れた郊外に住んでいたため
その直接の被害に遭うことはなかったのですが、それぞれの身内の何人かはやはり
原爆で亡くなったようです。
あの日の辛い惨状の様子を折りにふれては見聞きしながら私もこの年になりました。
広島に生まれ育った者にとって、8月6日の朝8時15分に黙祷するということは
物心ついた頃からの習慣です。かつて主人の転勤で海外に暮らしたことのある我が家
ですが、そこでも毎年この日にはこの方角が日本だねと言いながら8時15分には
みんなで黙祷したものです。時差のことを考えるとおかしいのですが・・・。
幼い娘は意味もわからず、ただ私のそばで必死で目をつぶっていましたっけ。
“大丈夫よ。いつもしっかり頭に入ってるから”と娘。
いつどこにいても、たとえ通勤途中の混んだ電車の中でも、この日のこの時間には
心の中でそっとヒロシマのことを想ってね、ささやかながら私の伝えたかった一言です。
来年からはもう、メールすることも電話することもやめよう、娘にはしっかり伝わって
いるのだから。
蝉の声がやっと弱くなったようです。61年目の原爆の日も静かに暮れていきます。
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